陰気臭い顔をした吸血鬼がいる。忌々しい闇のような色の長い髪を持ち、目の下には濃い青黒い隈が根を張っている。細身ではあるが馬鹿力で、まるで化け物を相手にしているかのようだ。基本的に一人で行動しているが、複数で向かっても歯が立たないため逃げるのが最善だろう。
世界征服推進者たちは俺をそう言い表した。まるで悪者扱いだ。血液バンクを襲って被害や怪我人を出したのはそっちだというのに。
隣町で起こった血液バンク襲撃事件は、種族保安部隊が発表した情報によると、世界征服を目論む奴らの仕業とのことだ。利用者の吸血鬼を仲間として引き入れる目的で襲ったのだが、従わなければ排除するつもりだったらしい。隣町だけでなく、他の施設でも同様の事件が発生していたために普段から用心していたが、まさか身近に忍び寄っていたとは思いもしなかった。その場に偶然居合わせた俺は奴らを制圧し、二度と同じような真似をしないこと、加えて、世界征服をやめるよう説得したが効果はなく、事件後は夜な夜な一人で世界征服に抵抗することになる。
吸血鬼は他の種族よりも強大な力を持ち、回復力にも恵まれている。数でいえば希少な方で、古代の吸血鬼は血を吸うために他の種族を襲ったようだが今は禁じられているし、そもそも血を必要とする吸血鬼は現代にほとんどいない。ただし、血液バンクに通っている俺は例外だ。血を摂取する必要がある吸血鬼はそうではない吸血鬼と比べて一般的に身体能力は高い傾向があるが、その力は皆のために使うようにと教育を受ける。俺も例に漏れず子供の頃からそう言い聞かされて育った。それが功を奏したのかどうかはわからないが、とにかく、俺は世界征服に手を貸す気はなかった。鋭い牙に目を輝かせた世界征服推進者の誘いを断ったのもそのような経緯があったからで、まさか拒絶されるとは想定していなかったのか奴らはひどく狼狽えていた。俺が世界征服を口実に他種族を支配して血を奪いたがるとでも思っていたのか?
俺はただの臆病な吸血鬼だった。自分の血を確保するために奔放するだけの一般人で、ヒーローではなかった。俺は正義ではなく怒りだった。
だが、世間は俺の活動をヒーローのようだと報道する。世界征服推進者たちを蹴散らせば蹴散らすほど、街の人々に平和をもたらす存在だと過大に評価されてしまうのだ。
当時、物語に登場する吸血鬼は悪役がほとんどで、俺自身もヒーローとなって現れる同族を無意識に望んでいたのかもしれない。だが、世界征服に抵抗するのは正義のためではなく、ほとんど血のためだった。世界征服よりも、血液バンクに勤める職員や血液提供者、そして血を必要とする他の種族の安全が失われる方がずっと恐ろしかった。それに、血液提供施設の機能が止まってしまうとこちらの命も危うく、生き残るためには平時の状態を保つ必要があった。俺は俺自身と血液を守っていたにすぎない。皆のために力を使えと教えを受けたのに、自分の身の安全ばかり考えていた愚か者だった。
しばらくすると、各地で同じような抵抗活動をする人々が現れたが世界征服の動きは止まらず、世界征服推進者をこの世の脅威として認識した政府はついに対抗組織の結成に乗り出した。そのまとめ役として抜擢されたのが後に悪友と呼ぶことになる男だった。飄々としているが大胆不敵、真面目そうに見えてとんでもないことを考えている人間だと抵抗者の間ですぐに話題になった。
俺も世界征服対抗組織の加入候補者のひとりとして数えられていたために誘いを受けたが、首を縦には振らなかった。
「大義のために戦えないんだ」と俺は言った。
「俺はヒーローには向いていない」と念押しの言葉まで付け加えたが、彼は嬉しそうに目を細めていた。
「何の問題がある? それでいいじゃないか」
「……よっぽど人手不足なんだな」
嫌味を言われても、男は笑みを崩さず淡々と続けた。
「君の言う通り、我々は困っているんだ。通常であれば種族保安部隊が対応するんだが、手が回らなくてね。世界征服阻止対応に特化した組織を作ることになったんだ。新メンバーを募集中なんだよ」
「悪いが個人でやっている方が動きやすいんだよ。俺はただ血が確保できればそれでいいんだ。困ったことがあれば力になるが、組織に所属するのは……」
「私の部下になるのが嫌かい?」
「は?」
「部下が嫌なら友として支援する気はないかな」
「何だって?」
「世界征服をとめる助けになってほしい。私の良き友としてね」
「良き友だと? 悪友の間違いだろ……」
悪友はよく無茶をした。世界征服推進者に襲われてもその状況を楽しんでいることが多く、肝を冷やした回数は数えたくもない。ボディガードをつけろと言っても聞かず、自分で対応できると言っておきながら救援によく俺を呼び出した。
彼の突拍子もない行動は病院でも手を焼いていたようだ。治療を受ける機会も多いためか、世界征服対抗組織に協力していた医師は悪友に小言を欠かさなかった。
「友人に感謝するんだね。君の輸血が間に合ったのは血液バンクが無事だったからだ。普段から彼が守ってくれたおかげだよ。全く、運ばれてきたときはどうなることやらと思ったけどね」
病院のベッドに横たわった悪友は、医師の言葉に嬉しそうな顔をした。
「私もなかなかしぶといだろう?」
傷が痛むのか時折顔をしかめていたが、声の調子ははっきりしており、軽口すら取り戻していた。大怪我をして先ほどまで天国に片足を突っ込んでいた人物だとは思えない。
医師は彼の冗談を鼻であしらった。よく見かけるやりとりだった。
「その減らず口の治療も必要だったな」
「ドクター、私はいつ退院できるのかな?」
「詳しい話は後だ。目を覚ましたばかりだろう。もう少し休んでいなさい。君も面会時間まではここにいていいからね」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げてからじろりと悪友に目線を移した。
悪びれた様子もなく、彼は満面の笑みを浮かべて言った。
「君となら世界征服をとめられるよ」
「本気でそう思っているのか?」
「もちろんだよ。君は勇敢だ。血液バンクだけじゃなく私も助けてくれたね。皆にとっての大恩人だ。ヒーローそのものじゃないか」
「俺はただ自分が必要とする血を守りたかっただけだ。ヒーローでも何でもない」
「その行いが巡り巡って私を助けたんだから、君は英雄だろ。いつだって君はそうだった」
英雄になった気はひとつもしなかったが、吸血鬼がヒーローとして描かれる未来はそう遠くはないのかもしれない。悪者の象徴であった吸血鬼が皆のために力を使えるのだと、俺もそのひとりとして立ち向かっていけるかもしれないと、わずかながらも希望を抱けるようになったのは悪友のおかげだった。
「俺はあんたと世界征服をとめるよ。必ず、必ずだ……」
悪友の驚いた顔が滲んだ視界に溶けていく。俺はうずくまり、肩を震わせて涙を流し続けた。
珍しく焦りを含んだ悪友の声が耳に届いた。
「おい、どうしたんだ? なあ、何も心配はいらないよ。傷はそのうち治るし……。もう大丈夫だから……」
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